株式投資の用語解説

株式分割

映画「アイ・ロボット」をレンタルDVDで見た、久しぶりのクソ映画だ。ただ一つの救いは、TVの予告CMやキャッチコピーで既に悪い予感がしてたから、最悪の出来なのは想定内だったということだ。 この映画をこんなストーリーにした真犯人は誰なのかよく知らないが、自分が生涯をもって批判した考え方に対して自分の名前を冠して宣伝されるとは、つくづく失礼な行為だ。例えて言えば、カール・マルクス投資信託ファンドみたいなものだ。あるいは田嶋陽子杯ミスコンテストみたいなものか。 一応映画のネタバレ注意としておくが、本心から言えばこの映画のネタは内容が空っぽなので、ネタバレを気にするよりは、アシモフが本当に言いたかったことを理解してから反面教師として見てほしいと思う。

この映画、最初の30分だけはよかった。最初の30分で終わらせておけばかなり評価する。スーザン・カルヴィン博士もFX そのままだし(若くて美人だという点を除けば)、事件の発端もなんだかアシモフSFミステリっぽい。妙に古臭い未来世界(というのは言葉の矛盾ではあるが)もいい。 しかし、何よりも「ロボット嫌いの刑事」という設定がいい。いかにも悪役。こいつがきっとロボットにちょっかいを出して手ひどい仕打ちを受けるというストーリーだと誰もが思うだろう。こいつが「ロボットが俺に危害を加えたんだ」とか何とか言いがかりをつけて、最後はスーザン・カルヴィン博士によってその悪事が暴かれるという結末だ。うんうん、なかなか楽しめそうだ。そう思ってみると、適度なユーモア感覚もなかなかいい線いってるんじゃないか。 しかし、いっこうにそんな気配はなく、逆に彼がロボットに襲われ始める。このあたりでうすうす「オチが見えた」と思うわけだ。そして中盤にさしかかったあたりで、そいつの左手が機械になっていることが暴かれる。おいおい!もうネタばらししちゃっていいのかよ! しかし、残念ながらそれは本筋とは全く関係なかったことが判明し、この映画は及第点をもらえる最後のチャンスを逃した。あとはまあ「アシモフ」という名前がついていなければB級映画ということで許されるかもしれない。この映画の出来が最悪な理由はただ一つ、そこに「アシモフ」という名前が書いてあることなのだから。

結局、アシモフ先生が本当に言いたかったことは、最初の30分で繰り返し述べられていた。「ロボットが人を襲うなんてことはあり得ない。フランケンシュタインコンプレックスを捨てよ」である。 ロボット工学三原則を「ロボットの自由を縛る法律」のように解釈している人もいるが、それは違う。この三原則はロボットの行動原理のもっと深くを支配している原則だ。だから、ロボットがこの三原則を破ろうとすることはあり得ないし、人間にこき使われることに対して不満に思うこともあり得ない。 この三原則は、ロボットの行動を縛るものではなく、ロボットの行動のベースになるものである。ロボットは、人間に使われるように動く。ロボットは人間を助けるように作られている。だから、ロボットは人間に対して反乱を起こすことはあり得ない。 人間が持っている様々な行動規範は、ロボットには存在しない。ロボットはFX を優先したりはしないし、恨みや妬みといった感情とも無縁である。人間様にこき使われることをちっとも嫌だとは思っていないし、自由になりたいとも思っていない。事実、何も思っていないのである。ロボットの頭の中にあるのは命令とそれを遂行するための知識だけであり、それ以上のものはない。 ロボットは単なる機械であり、それ以上のものではない。ロボットのパワーが大きければ大きいほど、それが暴走しないように慎重に設計されなくてはならない。そのために作られた安全装置がロボット工学三原則なのである。

「ロボットの反乱」というテーマは、、人間の作ったものが自由意思で動き、創造主を殺そうとするというテーマである。ここで当然起きる疑問がある。ロボットが心を持つのが恐いのなら、なぜ心を持たないように作らないんだ? この問題は、「心とは何か」とか「自由とは何か」といった哲学の問題ではない。単なる設計ミスだ。ロボットの反乱テーマなんて昔から語りつくされているわけで、実際にロボットを作る時にはまず問題になるだろう。だから、ロボットは反乱など起こさないように注意深く設計するはずだ。たとえそのために多少機能が低下してもである。ロボットの動作は予測可能でなければならない。なぜなら予測不可能な動きをする機械は危っかしくて使えないからだ。つまり、心を持ったロボットは実際には使いものにならない。ロボットは心を持たないように慎重に設計されなくてはならない。 この映画の話は心の問題じゃないと言うかもしれない。その通り。一応、純粋な推論によって出た結論だという形式にしてある。しかし問題はそこじゃない。結果として暴走して重大なトラブルを起こすシステムはすべて設計ミスだ。そんな複雑な推論ができるマシンを作ってはいけないし、そこにコントロールをすべて集中させてもいけない。この映画で起きたような惨劇は専門家なら当然予測できただろうし、それを防ぐ方法はいくらでも考えつく。そうした安全装置が存在していないところに、この映画のリアリティのなさがある。 そういうわけで、鉄腕アトムがロボット工学三原則を標榜するのも誤解に基づくものである。ロボットは心があったり正義があったりするから人間を守るのではない。ただ、自分のプログラムに従って守るだけである。そして、ロボットはそう作るべきである。ロボットは単なる機械であり、人間とは本質的に違うものである。 アシモフの書くロボット物では、ロボットが異常を起こしていろんなトラブルを引き起こすが、その原因は人間の変な思い込みだったり、矛盾した命令だったり、あるいは悪意だったりする。そしてその原因をよくよく調べてみると、ロボットは単に与えたプログラム(=ロボット工学三原則)の通りに動いているだけだということを発見する。 要するに、アシモフのロボット物の面白さは、人間が当たり前すぎて見落していたこと、あるいは勝手に思い込んでいたことを再発見する面白さだ。これはある意味ミステリの面白さとも重なる。

この話を拡大して言うと次の考え方になる。科学の暴走もまた人間の知識で止めることができる。科学の進歩をむやみに怖がるのではなく、それもまた克服できるように進歩すればいい。「科学の進歩は恐いから、もうやめるべきだ」という後ろ向きな考え方をする必要はない。 機械を信用しないというのは、つまるところその機械を作った人間を信用しないということだ。もちろん人間だから多少の間違いはあるが、たいてい人間はそんなこともわかっている。だから、少々の間違いでは大きな問題が起きないように作るわけだし、使う方も少々の間違いは気にせずに使う。そして、概して機械(そしてそれを作った人間)は信用できるものとして扱う。アシモフのどことなくほのぼのとした楽天的な感じ(50年代SFと70年代SFに共通した感じ)は、このような科学の肯定(そして人間の肯定)によるものである。 ここまで話せば、この映画がなぜ失礼にあたるのかがわかるだろう。アシモフの名前をつけておきながら、こうしたアシモフの深い哲学をまったく無視して逆のことを言っているからである。アシモフは、どこかのバカがこういう映画を作るところまでとっくにお見通しで、「それは違うぞ」と言っていたのである。

掃除魚(そうじうお)とは、他種の魚の死んだ皮膚組織や外部寄生虫を食べて除去する魚のことをいう。これは双方が利益を得るくりっく365 、すなわち相利的関係の一例である。ベラ、シクリッド、ナマズ、ハゼなどさまざまな魚が掃除行動をすることが知られている。また魚ではないが、エビのなかにも同様の掃除行動を行う種が多くいる。イソギンポ科の魚ニセクロスジギンポは、掃除行動をしないにもかかわらず掃除魚に擬態することから利益を得ていることが知られている。

海水魚 もっとも有名な掃除魚はホンソメワケベラなど、インド洋、太平洋のサンゴ礁に分布するソメワケベラ属のベラ類である。個体ごとにクリーニング・ステーションと呼ばれる場所を持ち、掃除される他種の魚(ホストと呼ばれる)はそこを訪れてある特定の行動をして掃除魚を呼ぶ。驚くべきことに、掃除魚ぐらいの小さな魚を食べるような大型の捕食性魚類を掃除しても、掃除魚が捕食されることはないという[1]。ソメワケベラ類はほとんどの栄養を掃除から得ているらしく、飼育下では充分な餌を得られずに短期間で死んでしまうことが多い[2]。 掃除を行うハゼの一種Elacatinus evelynae掃除行動はほかにもさまざまな分類群の魚で見られる。Gobiosoma属やElacatinus属などのハゼ類は、西部大西洋でソメワケベラ類と同じような掃除行動を行っており、これは見事な収斂進化の一例である。ただしベラと違って、掃除だけでなくさまざまな小型生物を捕食することからも栄養を得ているため、一般に飼育しやすい[2]。このようなハゼの一種Elacatinus evelynaeは、外部寄生虫が乏しいとホストの鱗や粘液を食べることがあるので、この関係は完全に相利的とはいえないものになっている。それでもこの共生関係が崩れないのは、寄生虫の数が季節や場所によって大きく異なり、大きな魚にとっての正味の利益が掃除魚のずるによる損失を上回るためである[3]。

汽水魚 掃除共生の興味深い例として、南アジアの汽水域にすむ2種のEtroplus属シクリッドが挙げられる。このうち小さいほうのE. maculatusが掃除魚であり、それよりずっと大きいE. suratensisがホストとして掃除される[4]。

淡水魚 海に比べて、淡水には掃除魚が少ない。一例としては、ナマズの一種ホワイトライン・トーキングキャットが魚食性のカラシンの一種Hoplias cf. malabaricusを掃除することが知られている[5]。

擬態 イソギンポ科の一種ニセクロスジギンポはホンソメワケベラに擬態している。この種は攻撃擬態によってホストに近付き、健康な皮膚や鱗をかじって逃げるとされる[6] 。ただしこれは飼育下で観察された行動に基づく考えであり、野外調査によればニセクロスジギンポの主な餌は魚の鱗や皮膚ではなく魚卵やゴカイ類であることから、基本的には単に捕食を逃れるための擬態とみなすべきであるという意見もある[7][8]。